現代日本社会の歪み の補遺


余談として

日本国憲法は、硬性憲法という非常に改正が難しい憲法に属します。憲法改正のためには衆参両院議員の3分の2以上の賛成で発議され、後に国民投票で過半数が賛成しなければなりません。この憲法改正の手続きについては日本国憲法の第96条に記載されています。このように日本国憲法の改正は非常に難しく、現況では天皇制廃止と第9条に戦争禁止条項の追加という憲法改正はほぼ不可能と思われますが、正論は正論として書きました。では一方、完全に不可能かと言うと、それはまた分かりません。

「現実は単なる幻想である。非常にしつこいものであるが。」とアインシュタインの言葉にもありますが、果たして戦前の現実と称する状況の中で、戦後の現実が想像出来たでしょうか? 現実とはある短い状況を変動しないものとして使われていますが、状況は次々に変化して行き、現実などという確固としたものは存在しません。

今、仮に台湾有事が発生した場合、自衛隊はなし崩し的にこの戦争に参加していくことになるでしょう。戦争は、前にも書きましたように通常兵器により行われますので、被害は次第に大きくなり期間も長期化していきます。短い期間で簡単に片が付くなどと考えていた日本人の考えは軽く吹き飛んでいくと思います。最新のステルス戦闘機を作れる程の技術力のある中国の軍隊は、それほど甘いものではないと思います。今のアメリカのトランプ大統領も中国の習近平国家主席もしたたかですので、核兵器が使用されることは無いと思います。恐らくある時点では停戦が行われると思いますが、どちらに有利な状況で終わるかは分かりません。
 いずれにしろ、日本国内は混乱に陥り、どの段階で戦争が終結したとしても、その人的・経済的損失は計り知れなくなり国民は困窮の中に落ち込むと思われます。実現することはありませんが、徴兵制も話に上ることがあるでしょう。それは大きな反発を招くことは間違いありません。政治的関心の薄かった日本の有権者はこの厳しい戦争に目が覚め大きな揺り戻しが起きるかもしれません。
 そうした中で政治状況が一変し、戦争に反対する政治家の数が自民党の政治家を凌駕し、今度は安保法制廃止、第9条の強化が行われるかもしれません。そしてその余勢を駆って天皇制廃止が行われるかもしれません。現実はあっけなく変化していきます。そしてそこから日本は新しい現実に入っていくことになります。

天皇制は世界の民主主義の流れ、国民の自我の伸長に伴って、放っておいても今世紀いっぱい保つのが最長限度だと思いますが、近いうちに日本はGDPでインドに抜かれることはほぼ間違いなく、一人当たりのGDPの落ち方も急激過ぎますので、余り悠長なことは言っていられないと思います。また、上述のような戦争に巻き込まれていくかもしれません。そうなっていく前に、安保法制廃止、9条強化改正、そしてこれらの根本を成す天皇制という制度は廃止が出来ればと、ふと考えます。

天皇制は何度も言いますように、封建的な身分制度がその本質であり、過剰な男性優位の制度です。完全に保守的で右寄りの制度です。ですから、保守的・右寄りの人間以外の国民を圧迫します。天皇は都合の悪い情報からは遮断され、会う人間はアレンジされ、抽象的な国のためと公務に励んでいます。日本の天皇は世界の立憲君主国の君主と比べ驚くほど行儀が良く、非の打ち所がないように行動し国民の手本になるように見えます。天皇と皇后は、日本の男性と女性の役割の理想型のようです。しかし、逆説的に言えば、天皇が真面目にその立場を守っていけば行く程、その天皇制の持つ本質を隠してしまい、天皇の考える思わくとは別に、保守的・右寄りの人間、政治家、司法関係者、官僚の自信のバックグラウンドとなり、社会に対する圧力を強化していきます。

日本の会社員、特に男性は会社での地位・身分に縛られ過ぎており、まるでその人間性のすべてがこの事により規定され自由を奪われているかのような印象を受けます。安保法制や財務省へのデモ等に見られるような当て所の無い社会上部構造への不満が高まっています。最近の社会学を扱う学者、特に女性研究者の場合、多くがジェンダーがその有力な研究対象となっています。このような人権やジェンダーの問題のすべてが天皇制から派生しているとは言いませんが、その最も大きな原因が日本の社会の隠された天皇制にあるということは間違いないことだと思います。

天皇制は日本の実態を把握することを阻害する巨大な装置です。今、日本は、特にここ数年で急速に力を落としています。それは韓国、台湾よりも下にある一人当たりのGDPや中長期的な国力を表す趨勢的な通貨の価値下落(円安)、大学の国際競争力の急速な低下、などにはっきりと表れています。しかし恐らく、日本人は日本がこのように急速に落ちていることを実感していません。日本のメディアは東大のランキングが少し上がったということだけを報道するだけで、ほぼすべての総合私立大学が世界的な競争から脱落しつつあるということは報道しません。日本人は自分を必要以上に良く見せようとします。自分に甘く、情緒性が強く、物事をありのままに見る現実感覚に欠けています。

日本は明治に突然、脱亜入欧という言葉通り、欧米を目指し、最初の3回の戦争に勝ったことにより、アジアの第一級の国民だというおかしな意識が生まれました。しかしこの時代は、軍人、政治家、司法、役人、官憲、教師、果ては郵便局の局長などが威張っていた悪い時代であり、教育勅語や修身などにより国民を型にはめ込もうとするような教育がはびこった時代です。この時代に作られた最大の装置が天皇制というものです。

現在のように国が落ちて行く時には、とにかく日本が強かった時代にしがみつこうとするものです。しかしその明治時代の実態はひどいものでした。この時代錯誤な傾向は、ますます現実の日本を把握出来なくし、実態は逃げ水のようにさらに落ちて行きます。日本はアジアの中で一級国民であるという明治から続いた悪しきイメージを捨てない限り、この凋落は止まりません。日本は80年代の終わりに、天皇制を体現した昭和天皇が死去した時点、そして同時に明治を引きずって来た戦前の世代の力の弱まりと共に、違う段階、局面に入ったのです。そのことを認識出来ずに体制変化が出来なかったことが今につながり、なお且つ過去の幻想にしがみついているのが現在です。

天皇は広大な皇居に居を構え、国内に対しては未だに威厳を誇っています。天皇は税金に守られた架空の存在です。皇族が留学するオックスフォード大学は2025年のランキングで世界1位で私立大学ですので入学の方針は自由ですが、皇族が普通に実力で入ることの出来るような所ではありません。イギリスの王室を守るためにこの大学は各国の王族を受け入れています。皇后は語学に堪能であり、それは実力です。天皇は外国の要人に威厳を持って対し、皇后がコミュニケーションを円滑に取り持ち、海外からの来賓は敬意を持って天皇・皇后に接します。しかしこれ自体が巨大に演出された舞台です。国民はテレビなどを通じ、天皇制を利用して日本は一流の国だと都合良く解釈し、日本もまだ捨てたものではなく、自分も先進国の一級国民であると勝手に納得します。そして現実を勘違いし、実態はさらに逃げ水の如く落ちて行きます。天皇制は現実から目をそらします。

世界は一人一人が自由に発想出来る柔軟性のある人々がリードしています。世界のグローバリズムはここに来て止まったように見えますが、実際はグローバリズムはさらに進んでいます。その中で日本は孤立し内側だけを見ています。世界の貿易量は戦後1950年に1000億ドルであったものが2024年時点で33兆ドル(国連貿易開発会議(UNCTAD))に達し、実に330倍に拡大しました。海外旅行が夢の時代から、安価な運賃で世界中の人々はどこへでも好きなように行くことが出来ます。最近の日本は経済停滞のため物価を上げることが出来なかったために、世界中からインバウンド消費として安いホテルや食べ物を求めて大量の人々が押し寄せています。この事により日本の経済は一息ついています。

日本からの海外への留学生は2000年前後を境として急激に落ちており、代わりに韓国、台湾、中国といった東アジアの国々からの留学生が大量に増えています。この分野でも日本の存在感はもうありません。物や人々は国境を越えており、国という単位は現実的には世界という単位に移りつつあります。その中で日本という小さな一単位にこだわり、しかもその過去にこだわることには何の意味もありません。鎖国にも明治時代にも天皇制にも、もう戻ることなど出来ないのです。

日本は今、一時的なモラトリアムを続けていますが、衰退と貧困の恐れはますます高まっています。日本はすでにあるラインを越えてしまった可能性が高いのです。IMF(国際通貨基金)の高官の1人は、「日本は脱落した。」と断言しています。今や日本は再び勢いを取り戻すというような状態ではなく、いかに衰退を止めて現状維持を続けるかということを考えなければならない段階に入っています。しかし、それさえも簡単なことではありません。

天皇制は日本社会を変えることに対する最大の阻害要因であり、日本社会の歪みの根本です。一刻も早く廃止すべきです。


序文

-英語版のイントロダクションを日本語版の序文にかえて-

もし、あなたがアメリカかヨーロッパの白人だとして、そしてオバマ大統領以降はアフリカン・アメリカンもそうですが、そういった人であるとして、アメリカやヨーロッパの自我と主張の強い世界に疲れてしまい、ふと、日本を訪れたとします。そうすると、あなたは何故か、ちやほやされます。ここでは難しい話や議論をすることもなく、まるでユートピアのように感じるかもしれません。そうして日本がとても気に入って滞在し、2,3年が経ったとします。
 あなたが平均的な欧米の自我を持っているとするならば、あなたの自由はすっかり侵食されていることに気が付くでしょう。そこで帰国することになるか、あるいはもし、それ以降も日本に留まることを選択するならば、あなたは何かを捨てなければなりません。もし、あなたがアジアや中近東の人であったなら、多くの場合、このようなアドバンテージはありませんので、最初から嫌な思いをするかもしれません。

日本は、何かの神秘性のある国でも、皆が人に対して等しく優しい国でもありません。自我と主張が強い国では、辛いと思うことがあるかもしれません。しかし、個人の内面の自由という尊厳は人権意識により守られていると思います。日本社会では、その隅々までお互いが牽制し合い誰も頭を出すことは出来ません。どんな真面目な努力で素晴らしい結果を出してもその結果は相応に価値を認められることはほとんどありません。個人の能力はそれほど評価されないのです。その代わり、天皇から叙勲される人は偉いということになっています。
 人権という言葉はあっても、その当たり前の概念はここでは通用しません。自分の権利やプライバシーを守るには大変な努力を必要とします。日本人の内面は常に強い緊張感と、他人が自分のことをどう思っているかという不安感にさらされています。強くたとえて言えば、日本は見えざる牢獄であり、自由は水面に浮かび上がった時に少し吸い込めるだけです。
 今の日本の若者は、防御のためにお互いに余り話はせず、お互いの領域に踏み込むこともしないようになっています。結婚もしませんし、子供の数は急激に減っています。

日本は、表層的に欧米社会のように見せかける仕掛けを作るのが実に巧みで、日本人でも騙されてしまいます。日本人自身、日本という国の構造を理解出来てはいません。ましてや外国人のあなたには、たとえ日本に一生住んでいたとしても、その理解は出来ないでしょう。外国からの日本への旅行や少しの滞在の時は、きっと良い印象を持って帰ると思いますが、それは本当の日本ではありません。もし、本当の日本を知りたいと思うなら、是非この本を読んで下さい。あなたは、日本はあなたの考えているような所ではないということを知ることになると思います。
 日本人でもこの窮屈な社会に縛られもがいている人間が多くいます。そういった日本という国と日本人の置かれた困難な状況を少しでも理解してもらえればと思います。


< 23頁 上から4行目の後に追加 >

もちろん、マッカーサー1人により作られた、というのは、文字通り1人ですべて作り上げたという意味ではありませんが、日本国憲法に取り入れられた最大の特徴である「マッカーサー三原則」はマッカーサー自身により発案され、その三原則の中で特に最も重要な点である、天皇を日本国憲法に象徴として組み入れることを実現するために、これも三原則の内の一つ、戦争放棄の第9条を利用し、連合国の意向を1人でひっくり返したという事実。それ以外の部分は10日間にわたるGHQ民政局の昼夜を徹しての作業により完成しましたが、それらもすべてマッカーサーが目を通し最終的に承認したということ。そしてこうして出来た草案を強引に日本側に受け入れさせたということ。また、その後の日本側の細部の調整もすべてマッカーサーが承認したということ。こういった事実を総合し、あえて、日本国憲法はマッカーサー1人により作られたと言って良いと考えました。マッカーサー以外の人物がGHQの総司令官だった場合は、現在のような日本国憲法は成立しなかったでしょう。本章の題はそのような意味合いから命名したことをご理解下さい。


< 79頁 上から15行目の後に追加 >

アメリカは台湾を中心として日本、韓国を前面に押し出して中国と対峙したいと考えていると思います。自衛隊の戦争参加は強く要請されるでしょう。


< 84頁 上から7行目の後に追加 >

もし、上記のような改憲が成立したとすれば、防衛費の増額の根拠は失われます。軍事費は非生産的な支出であり、経済を圧迫します。
 戦後、日本が成長した要因の一つに、9条により防衛費の財政支出が抑えられ産業発展が促された面があったことを忘れてはいけません。9条は経済発展にも寄与したのです。防衛費の増額は軍需への産業シフトも意味します。一度、防衛費が増大を始めれば、産業構造の面からもその縮小は難しくなってきます。軍需産業は財界と強い繋がりを持った自民党の新たな票田にもなり、政治の固定化にも影響を及ぼします。


< 121頁 上から11行目の後に追加 >

また、極右、極左が国全体に広がった場合は、極右政権、極左政権の危険性もあります。極右政権の場合は、ナショナリズムを伴うのが普通です。ナショナリズムの引き金は、多くは移民問題や経済的困窮が原因となります。現在、ヨーロッパは右派傾向が強くなり、アメリカも右派傾向、ポピュリズムが見られます。日本も同様に右派傾向が強くなってきています。
 ナショナリズムとは、考えることを止め、国の伝統にしがみつき、高揚した人々の排他主義、付和雷同が広がり、少数民族、移民などの排斥や戦争に結び付く危険な状態です。

「愛国主義は不埒なやつらの最後の隠れ家だ。」サミュエル・ジョンソン、1775年(イングランドの文学者・批評家)


< 129頁 上から13行目に追加 >

また、この解釈をすれば、天皇が憲法の万人の平等に抵触するという批判から逃れるのがたやすくなると考えた安易な官僚の思惑からも広まり継続していったのです。


< 137頁 上から7行目に追加 >

日本の天皇制は象徴天皇制となった今でも、一人の君主を上に頂く紛れもない王制です。しかも、議会の制限を直接受けたことがありませんので、古い絶対王制の特徴、神聖も色濃く持っており、封建的、中央集権的な性格がその本質です。ですから、元々、社会を保守的で右方向へ持って行く力が強くあり、今でもその力は残っています。