日本の歴史と現代アート

日本の歴史を考えると、宗教と強く結び付いた天皇制、武家政権、明治維新から戦前、戦後現代社会、の4期に大きく分けることが出来ます。
この歴史の中で一番大きな変化は、戦前から戦後への変化で、非常に大きな断層がそこにあります。

日本の歴史の中で一つ顕著なことは、天皇制から武家政権=軍事政権までが余りに長すぎたために、市民社会の勃興が見られず、明治時代になっても王政復古が近代国家と強く結び付いていたために、その発展が未熟なままに、戦後の民主主義、市民社会にいっぺんに大きなパラダイム・シフトが起きた、という点です。

戦後70年以上経過して、日本もG7の一員となり、欧米諸国と外見上差異はなくなりました。ですが、この歴史上の巨大な断層は、内面的にまだ大きく影響しており、戦後間もない頃と比べると現在その差は非常に小さくなっているとはいえ、未だ外見とは違った複雑な意識構造が残っています。

私は、戦前と戦後が日本の歴史における最大の変化点だと考えています。ですが、そのような歴史認識がなされるには、今後相当な年月を要することとなるでしょう。

美術は社会の一部ですから、こういった歴史上の事柄、社会意識がすべて反映されます。現在の日本の美術状況は、戦前からの日本画、洋画、戦後の現代美術、アメリカ、ヨーロッパの美術、が混在しています。多くの美術館もこれに沿ったコレクションがなされています。
日本で現代美術と言っても、現在の欧米のアートとは認識、構造の面でまだまだ違いが目立ちます。それは社会のあり方をそのまま反映しています。

古典美術は別として、現代のアートと言った時に、アメリカ、ヨーロッパとその認識の差異がなくなるのは歴史同様、相当な年月を要すると思いますが、関係者は世界の情報を広く取り、その差異がなくなるまでの不断の努力が必要です。

アーティストは、それぞれの国、地域から出発して、やがて世界のアートに触れてゆきます。
現在の世界のアートは、ほぼ共通化されています。まだまだ違いがある、と述べましたが、日本もその一部に入りつつある時代でもあると思います。
あくまでも世界の共通項に目を向けて、それに沿ったアートを目指さなければなりません。
日本人らしい、あるいは日本らしいアート、というものは既に存在していません。しかし、作品の背後にそのことが感じられるのは自然なことです。
難しいことですが、この認識がこれからのアーティストの一番の素養となると思います。

天皇制は言葉を発しない文化です。神道には教典はありません。武士道には独特の死生観があります。
空、無、ということは、日本文化の大きな特質の一つなのですが、この点を表現に強調することには感心しません。

ミニマリズムは、最小限の表現ですので、このこととは異なります。
アートは、社会の仕事の一つですから、そこに活力や何らかのプラスの面を与える必要があります。
空や無が日本文化の特質の一つであると言っても、見るものに空虚感や虚無感を与えることは良いことだとは思いません。
日本人の表現者はこの点を忘れないようにしなければならないと思います。

 Eizo Nishio, May 2017

copyright © Eizo Nishio, Art & Books Publishers 禁無断転載