ルネッサンス以降の人類の歴史は、自然科学と人文科学の発展が個人に活動領域の広がりと自由をもたらし、やがて絶対王制を脱して民主主義社会の実現に至る過程であり、美術の歴史もこの大きな流れの中にあります。
このことは、絵画においてはリアリズムの発展に見ることが出来ます。
リアリズムとは、リアルに感じられる、と、正確に描く、の両義があります。が、いずれの場合でも、このような物事の捉え方は自我の著しい進捗(しんちょく)であり、反王制的な立場に違いはありません。絶対王制は、リアルに捉えられるには矛盾が多すぎるのです。
反対に、絶対王制の絵画を特徴付けるものは装飾性です。また、絵画にはこれ以外に、極めて私的な世界である個人的なイマジネーションの発露としての絵画がありますが、それは歴史の流れとは直接的な関係はありません。
民主主義は19世紀にその現実的な姿を現し、20世紀において多くの民主主義国家の成立により完全に具現化しました。こうした流れを反映しての、20世紀の美術における最大の特徴は、抽象とモダニズムにあります。
抽象は一般的に、再現的なものではないので、リアリズムとは違うものと捉えられがちですが、そこには見たままの形と色彩のみがある、つまり、イリュージョニズムを排して絵画は成立しているのであり、この点において、従来のリアリズムより、よりリアリズムであり、また同時に、見る側が、それをリアルに感じ価値を見出すまでに大きく変化したことも意味します。このことから、抽象は20世紀に入って生み出されたリアリズムのもう一つの新しい形態と言えます。
一方、20世紀美術のもう一つの大きな特徴であるモダニズムは、民主主義国家の市民が高揚感と活力をもっていきいきと生活するための、ヴィジュアル・カルチャーにおけるムードであり規律です。そういった意味では、表現の一形態である完全抽象を越えて、モダニズムは遙かに大きな広がりを持っています。また、モダニズムは、20世紀だけではなく、歴史上、不完全ではあっても民主的政治形態が存在した国々において、ルネッサンスはおろかギリシャ文明までも遡ることが出来ます。
モダニズムは、抽象と同義に捉えられる場合もありますが、具象絵画を始め、そういったムードを持つすべてのアートを含みます。モダニズム=抽象、と捉えていると、そこには大きな落とし穴があります。抽象であってもモダニズムではない表現が存在するからです。それは第二次大戦中のファッシズムの独裁国家や共産主義体制下における建築などに典型的に見ることが出来、一切の装飾性を排して直線で単純化され、必要以上に巨大化された表現は、モダニズムから高揚感のみを取り出して威圧的な神聖さを加味するのに最も簡単で効果的なヴィジュアル面での方法です。戦中の日本においても、国威発揚のために国家神道のシンボルとしての巨大な鳥居が利用されました。
こういった表現に対し、モダニズムの表現には必ず個人の人間性に対するプラス面が感じられ、それは例えばギリシャ建築のエンタシスにおける緩い膨らみと縦筋の装飾などに見ることが出来ます。
ロシアン=アヴァンギャルドと抽象表現主義がソビエト連邦とアメリカに出現したのは別に偶然のことではありません。この2つの大国は、資本主義と共産主義の2つの陣営に分かれ、共に20世紀をリードして来ました。ソビエト連邦はその初期を除き、独裁体制になり、そして1991年に終焉を迎えましたが、この2つの大国は共に、片や、労働者による労働者のための政治、片や、人民による人民のための政治、と言葉は違っていても、また実現した形においては違ったけれども、その理念においては本質的に似ており、巨大な国の市民が一丸となって前進するために必然的にモダニズムの規律が求められました。特にソビエト連邦においては、体制が宗教をも認めないために、モダニズムの純化された形-マレーヴィッチの方形の絵画-を生み出し、しかしそれはまたソビエトにおいても直ちに受け入れることが出来なかったために、スターリン時代以降、形式的なソーシャリスト・リアリズム絵画に変化して行きました。
これに対し、戦後のアメリカ抽象表現主義絵画は、厳格なフォーマル・モダニズムではありましたが、より自由で手触りのある線や色彩により、人々が受け入れ、持続可能な表現として、その後の、にじみや形態の自由さを持ったカラー・フィールド・ペインティングや、シェイプト・カンバス絵画に引き継がれてゆきます。
戦後、アートはその中心を完全にアメリカに移し、1940年代から1970年代まで名実共にモダニズムの時代を迎えます。1980年代以降はポスト・モダニズムが言われますが、そこで問題になる建築の装飾性やニュー・ペインティングのモチーフも、モダニズムに加味された限定的な動きで、本質的にはモダニズムであり、その延長線上にあるポピュラリゼイション化したモダニズムと言えます。
大型コンピューターが主役の時代から、1980年代以降、パーソナル・コンピューターが一般化し、誰でもネットを通じて情報を手に入れられる時代の反映として、フォーマルなモダニズムが、より身近なものに変化して来た訳です。こうしてモダニズムは変化しつつ、欧米だけでなく、経済の多極化と共に世界中に広がりつつあります。
現在、民主主義は世界中に広がり、今後、ほぼ世界中が一応、民主主義の政治形態をとるようになるでしょう。しかし、おそらく民主主義はその時から新しい危機にさらされることになります。反民主主義的なものが消えることにより、民主主義そのものが、あるいはその中心が見えにくくなる、といったことが起こり、民主主義というものをはっきりと、そして常に認識することが難しくなるためです。そしてこの時点からおそらく民主主義のグレーゾーンへのチェックが最も大きな問題となって来ます。
アートは常に時代の希望を反映するものなので、アートは時代をリードしているように見えても実は時代に沿って受動的に動くものです。別の言い方をすれば、アートは、時代を認識し文化面において、その時代を定着させて行く作業と言えます。良い時代にはより良く時代を補強しますが、その逆もまたあり得ます。今後、民主主義のグレーゾーンが広がるにつれ、アートの世界でも、どういったアートが良いものであるかについての判断がより一層難しくなることが予想されます。モダニズムは、民主主義におけるヴィジュアル面での基本言語ですので、それを基準に判断する必要があります。現在でも民主主義は、衆愚政治、また可能性は低いにせよ、右翼政権、左翼政権による全体主義に陥る危険性にさらされています。社会との関係が希薄で過度に華美な表現や、また、ミニマリズムを越えるような、純粋さは感じられても虚無感が支配するような表現が多くなる時代には、より注意を払い、選別眼を厳しくして、アートを少しでも良い方向へ向けることは、今後のアート関係者の大事な責任となると思います。
今後も、快活で前向きなモダニズムの中で、アートが時代と共に、安定的、継続的に発展していくことを願って止みません。
Eizo Nishio, December 2017
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