天皇制と現代日本社会

前書き

このエッセイは、日本の天皇制と国民との関係性が日本社会を規定しているということをテーマとして書かれたものです。この関係性は日本人でも普段余り気が付かないことであり、しかし、とても重要な問題であると考えます。現在、日本は政治、経済、文化面において危機に面しています。私はその関係性が危機に大きな影響を与えていると思います。このエッセイの趣旨をご理解いただき、お読みいただければと思います。

現代日本社会において天皇は何の権限も持っていません。それは憲法で強く規制されています。ですから天皇制というものは単に形式的な存在のように思えますが、実際には宮内庁という政府組織と皇宮警察という2つの組織に守られて東京の中心地、皇居の中に存在しています。何の権限もない形式的なはずの天皇制がなぜこのように堅固に守られているのでしょうか。宮内庁、皇宮警察とも約1000人の人員を擁しています。このことからすると、形からは天皇制が日本文化の中心と考えられているように見えます。政府だけがこの制度を守っている訳ではありません。国民の多数がもし天皇制というものに反対の意見を持っていれば、このような形で存在する事は出来ません。なんといってもその費用は税金によって維持されているからです。ですが、反対をする者が少ない、といっても、では賛成する者が多いかというと、そのような訳でもないと思います。恐らく大多数は天皇制について深く考えたこともなく、昔からの日本の伝統文化と考えて、賛成でも反対でもなく、曖昧な状態で是認しているのではないでしょうか。こうした曖昧な状況の中で天皇制は日本社会の中に存在しています。言い換えれば余り重要な問題ではないと捉えられていると言うことだと思いますが、では実際、本当にそうなのでしょうか。

私は実は天皇制というものは現在においても強いメッセージ性を持っており、日本人の潜在意識に働きかけ、その行動様式に影響を与え続けていると思っています。外国からの要人のための晩餐会や園遊会などは宮内庁により注意深く管理され、天皇がテレビなどの媒体に映し出されることはあっても、天皇自身の直接の意見などを聞くことはありません。このため天皇の存在は普段余り意識されません。憲法に天皇は日本国の象徴と規定されていますので、その配慮から人々に意識されないように行動している面もあるかと思いますが、人前に必要以上に現れないことにより、権威を維持するよう配慮してもいると思います。なお、天皇制は古来より一貫して秘密主義をとってきました。

ヨーロッパの近代王政の時代になると、フランスでは王が強権を発揮しようとし、結局市民に倒されることになりました。イギリスでは早くから王と議会が対立し、逆に議会に制限をかけられ、立憲君主制に移行しました。このことで結果的に、ある程度の力を維持しながら現在までイギリス王室は存続しています。
天皇制は世界でも特異な王朝であり、初期を除いては直属の軍事組織を持たず、武士を雇い、自らは天皇家と公家による官僚組織を目指したと思います。結局、武士に取って代わられ武家政権に移行してからは弱体化していきました。武士に位を与えることにより、 天皇家と公家組織は生きながらえました。日本が開国し1868年より明治時代となり、明治憲法(大日本帝国憲法)が制定され、王政復古により天皇は再び強大な力を持つことになりました。この時代でも、立法、行政、司法の決定権、軍の統帥権などほとんどの決定権が天皇にあり、天皇の地位は神聖なもので、侵すことは出来ない、つまりすべての責任は回避されるという事であると思いますが、現代の法体系では考えられないこの二律背反の条項まで明記されているにも関わらず、直接の政治は行いませんでした。第二次世界大戦中であっても昭和天皇は軍隊の長であり、国家神道(注1)で神であったにもかかわらず、戦争の遂行に何の決定も行いませんでした。しかし、戦争を終結させるための天皇の肉声によるメッセージの録音をラジオで放送した玉音放送により、戦争は実質的に終結しました。昭和天皇はこういった事により処罰を受けることなく、戦後、日本国憲法により、日本国の象徴の位置に置かれ、現在の天皇制に続いています。

長々と歴史を振り返りましたが、結論は、天皇制は責任ある地位にある時代も無い時代も、すべての責任を回避する組織制度だということになります。確かに、昭和天皇は戦争を終わらせる事が出来ました。このことは、責任ある地位にある天皇が初めて責任を果たしたように思えます。しかし、もし、最後に責任を果たしたのだとすれば、戦争中の戦争の遂行、拡大により甚大な被害を諸外国に与え、また、自国民にも巨大な被害をもたらした責任はどうなるのでしょうか? 戦争の遂行、拡大は軍部により行われたので天皇に責任はない、という考えは違っていると思います。明治憲法で天皇にすべての決定権があったにもかかわらず、何もしなければ、あるいは何もしないことが前提になっていたとすれば、そこに権力と責任の大きな空白が生まれるのは必然のことであり、そこを軍部が暴走する結果を招きました。その空白を生んだ責任は天皇にはないのでしょうか? 責任ある地位にある人間が何もしないということはこのような混乱した状況を引き起こします。結局、天皇制は、都合の悪いことは何も起きないという状況を前提にしたもので、都合の悪い何かが起きる、つまりリスクというものを全く想定しないことで成り立ってきた制度であったと思います。

天皇制がここまで存続してきたのは、日本が島国であるという特異な位置関係から外敵に侵略されるということが無く、権力の一極集中が起きなかった、また、武家政権と鎖国が余りに長く続いたために市民が戦前までの間に十分に育つことがなかったなどの理由もあるとは思いますが、第二次世界大戦後、民主主義国家になった現在まで天皇制が存続しているということは、日本人すべてが天皇制を存続させた、とも言えます。イタリアでは戦後行われた国民投票で僅差ではありましたが王制を自らの手で廃止しました。日本は、同じ敗戦国の一つではありましたが、そのような動きは全く見られませんでした。

最初に、「天皇制は現在においても強いメッセージ性を持っており日本人の潜在意識に働きかけ、その行動様式に影響を与え続けていると思っています。」と書きました。何の権限も責任もないが高い地位にある、という夢のような状況が、この天皇制の持つ日本人に対するメッセージであり、このことに国民=世間(注2)も呼応しているのではないかというのが、私の考えです。高い地位にある人間には当然大きな責任が伴います。しかし、天皇制の存在自体がその反対を示していますので、そのあり方を通して、日本人の責任に対する考え方に広く影響を与えていると思います。こうしたことは、責任についての厳密さの欠如とその所在の曖昧さ、さらには国のあらゆる組織のリーダーシップの弱さにつながっていくと思います。

天皇制は日本人全員の作り上げた偶像であり、世間は夢のようなイメージを享受してきましたが、その状況は今や変化しつつあります。
現在、日本はG7の一員となり外見は欧米と変わらないものとなりましたが、その内面は未だに世間と市民が分離出来ない状態にあると思います。(注2) ですが、2009年のアンケート(注3)によると、その8%が「天皇制を廃止する」と回答しています。今は2023年です。市民は確実に育っているのです。現在、日本は少子高齢化、可処分所得の継続的な減少、円以外のほぼ全通貨に対する価値下落、財政赤字の膨張、貿易赤字、超低金利の継続=金利の少しの上昇にも耐えられない企業の増加=預金に利子がつかない状態などに、何の打つ手もありません。

戦後の高度成長期は、日本人が一丸となって企業戦士として身を粉にして働きました。昭和天皇の亡くなった時期とその直後の経済バブル崩壊は何かを象徴しているかのように感じます。日本ではドイツのようにナチズムに代わるだけの市民層の厚みがあったとは思いません。市民が少ないために、戦前の要職にあった者が多くは戦後そのまま高い地位に残ることになりました。高度成長はこういった管理職に導かれ敗戦国としてのアメリカへの挑戦といった動機もあったのではないかと考えています。攻める時はどこまでも、負け出すと手が打てなくなります。80年代に中央銀行の責任者は急激なインフレに対して果たして責任を取るような行動をしたのでしょうか? 企業の責任ある人々は果たして責任を果たしたのでしょうか? ドイツは現在ECの中心国として周りの国々にも配慮しつつ発展しています。日本は明らかな衰退に向かっています。日本の政治、経済、文化などの責任者は果たして責任を果たしているのでしょうか?

80年代の日本は、産業全域で世界を圧倒し、アメリカでは日本製の車が壊され焼かれる映像が日本でも流されました。おとなしく礼儀正しいと思われている日本人がなぜ、それ程、海外で脅威を与えるような形でしかビジネスが出来なかったのでしょうか?日本の産業の責任者が広く世界を見る目を持ち、リーダーシップを発揮して相手国の理解を得られるようなビジネスを展開していったとすれば、世界に信頼され、日本がアジアのリーダーシップをとって、今日の、中国に多くを取って代わられるような事態は避けられたと思います。
世間は、近くの事は見えますが、広い視野に立って見る点で大きな欠点を持っているのです。
広い視野に立つためには、多くの事に疑問を持ち、考えを深め、自分自身の意見をはっきりと持つことが必要です。日本人は一般的に物事を深く考え自分自身の意見や意思を持つことを避ける傾向があります。世間の中で波風が立たないようにするための行動だと思います。学校教育でもディベートの授業はほとんど取り入れられていません。
天皇は自分自身の言葉を発しません。また、責任ある行動をとることもありません。しかし、日本の中央に位置し続けています。日本人が自分自身の意見や意思を持つことが不得意だとすれば、必然的に自分以外の何かに頼る傾向が出て来ることは避けられません。現在の天皇には象徴として国民の規範になるような立ち居振る舞いが求められます。戦前までは、神聖さと高貴さが求められました。天皇は今も昔も自分自身の意見は決して述べません。このため難しいことを考えることなく、何かに規範を求めたい世間が利用するのに大変便利な存在となります。自分自身には何の影響も及ぶことなく、どのように解釈することも出来る存在が天皇制なのです。これが、天皇と世間の構造が昔から日本に途切れることなく一貫して存在し続けた理由であり、このことにより、天皇は常に日本の中心にいるのです。

世界は現在、ほぼ民主主義、市場主義経済に移行しています。天皇制の持つメッセージは「ノーリスク、ハイリターン」です。世間はこのメッセージに染まってはいないでしょうか? 世界には「ローリスク、ローリターン」か、「ハイリスク、ハイリターン」の原則しかありません。

私は天皇制は国民投票により早く廃止すべきだと思っています。そうして日本社会は一刻も早く世間から市民社会へ脱皮しなければならないと思います。日本を進歩させ、移民も暖かく迎えるためには真の市民社会が必要です。時間はもうないと思います。

注1:天皇は初期から神道との関係が深く、また明治期に宗教面で神話上の天照大神が神道の最高神として統一されると、政府により、その子孫とされていた天皇を神そのものという位置に置く国家的状況(国家神道)が作り上げられました。戦後、政教分離が行われましたが、天皇が宗教の中心としての存在であるという意識は強いものがありますし、その背景は万世一系の血筋を受けた神性から来ています。万世一系とは、直系男子の中に神性が宿るという天皇制の最も基本的な考え方のことです。

注2:日本では世間と市民社会の違いは明確ではありませんが、両者には違いがあります。日本では江戸時代の武家政権から明治時代の近代国家体制へ急激に転換したために、それまでの閉鎖的な村意識や狭いコミュニティーで生活していた町人の意識が、そのまま社会の範囲にまで拡大されて残ったものと考えられます。世間とはこの同一感を引きずったクローズな人間関係に支えられた社会のことです。一般的に世間は権威に弱く、人と違うことに強い抵抗感を持ちます。
以上のように、世間を定義しましたが、あるいはこのことは日本がある程度の広さを持った島国であり、歴史を通してほぼ一民族で、他民族の侵略が一度もなかったという特殊事情からくる、日本社会の基礎的性格なのかもしれません。
市民社会とは自治の精神と自分自身の判断力をしっかり持った市民の集まった社会のことを指します。

注3:2009年11月実施のNHK世論調査より

後書き

このエッセイでは、天皇と世間との関係が日本社会を規定しており、日本人の潜在意識、行動様式に深い影響を与えているという事をテーマに、結論としては天皇制を国民投票により早く廃止すべきだと思うと書きました。このエッセイは、明確に証明出来るような事項ではないことについて敢えて書かれていますが、ここには日本人が深く考えなければならない問題を含んでいることは間違いないと思います。

象徴天皇制は日本独自のものであり、憲法の最初の第一章に明記されているということは、先の大戦の経験から天皇を象徴という位置に限定することを第一の目的として作成されたものと考えられます。しかし、その必要性は現在すでに失われており、民主主義にとって弊害が目立つようになって来ていると思います。民主主義の必須条件の一つは、国の組織の内部に世襲により固定化された階層がないという事です。日本は内閣組織の内部の宮内庁を介して世襲による天皇制を保持しています。民主主義と天皇制は完全に矛盾した概念ですから、本来、併存することには無理があります。憲法に君主という言葉は記載されていませんので日本に君主は存在せず、天皇制は形式的な存在と言えます。天皇制はすでに限界を迎えていると思いますが、国民がその事をはっきり認識してしまうと天皇制は解消してしまうので、国事行為により何らかの権限があるかのように工夫してその権威を維持しています。こうして維持する天皇制の曖昧なあり方は国民の判断力、論理性の発展を妨げ、国民を弱くし、ひいては国力の衰退にも影響を及ぼしていると思います。

憲法改正論議の際に、第9条・軍隊のあり方に論議が集まり、この大きな問題が論議されずにいるのはなぜでしょう。自由な民主主義国家であれば、どのような問題でも批判は自由なはずですが、もし、批判が起きないことが国民の無関心から出ているとすれば、日本の民主主義にとって危機であると思います。

現在の天皇制で皇位継承権を持つ次世代の男子は一人だけですので、この制度はこのまま行くと自然消滅ということになると思います。女性天皇を認めるとしても、その時点で万世一系の伝統が崩れ、天皇制はさらに形式的なものとなります。いずれにしても、天皇制は時間軸は分かりませんがなくなっていくと思います。国民はそれでもいいと思っているのかもしれません。しかし、その時間軸の長さが問題です。この曖昧な制度のまま長い時間が経過した先には、現在、考えられないような衰退が待っていると覚悟する必要もあると思います。

最後に、表層的な政治、経済、文化などの変化に惑わされず、日本社会の変化を見る上で簡単で絶対的と思える見方は次の通りです。「天皇制がある限り日本は変わらない。天皇制がなくなれば日本は変わった。」です。

Eizo Nishio, December 2023

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